【死を意識し生きる】言動にそれが醸し出される男はモテる。

死 尊敬

今回は【フェーズ③尊敬】の[番外編]と思っていただければ問題ないだろう。

尊敬の勝ち取り方は無数のに存在するとお伝えした。

今回扱う『死』というテーマを意識し、それが言動に乗っている男も尊敬される。

それでは早速『死』というテーマから尊敬の扉をあけモテの階段を登ろう。

人が人を尊敬する時の方程式は何度もお伝えしている通りこれだ。

世の為、人の為になる事を高次元で継続し行う。

そして、今回フォーカスしている『死』というテーマを話す時、行動する時、それは『人の為』になりやすい。

更に、死を意識して生きている人間があまり存在していない為『高次元』と認識される事が多い。

自分にはできていない事を人がしていると、それだけで『すごい』と感じるのが人なのだ。

ご理解いただけただろうか?

『死』は非常に尊敬が勝ち取りやすいテーマなのだ。

実際に、僕の心を鷲掴みし続けている男がこの世に存在するのだが、その人を更に尊敬するキッカケになった出来事がある。

僕が株式投資で資産運用を始めた23歳、その人に株式投資の魅力をプレゼンしていた。

その人はその後、株式投資の世界に足を踏み入れる事になるのだが、その人は最初のプレゼンの時に僕にこう言った。

『マコト、それって死んだらどうなるん?』

僕は『死んだらどうなるかわかりません。調べておきます。』と伝えたが、心では全く違う事を思っていた。

この人は、死んだ後の事も考えているのか。

その時『やっぱりすごいなこの人』と、心から震えた。

自分が死ぬ事を考えている事もすごいが、その後、残されたモノがどうなるかにまで責任の領域が広がっている。

僕は更に尊敬を抱くようになった。

もう一つ実際の例を出しておきたい。

僕の父の話だ。

父はすでに亡くなっているのだが、母を9歳で亡くした僕には父に育ててもらった記憶が多く、物心ついた頃から父を尊敬していた。

よくありがちな話で恐縮だが、非常に迷惑をかけながら育てていただいた。

基本的に、大小関わらず、僕が犯した過ちの全ての責任を取ってくれていた。

自分のケツが自分で拭けないガキんちょな僕だった。

むしろ、自分で拭こうとさえ思っていなかった。

昔の自分に会って心構えを教えてやりたい。

時は経ち、なんとか精神的、金銭的自立を果たした僕は親孝行を始めた。

もちろん、やってもやっても足りる事はなかった。

そして僕が31歳の頃、父は亡くなった。

僕は決めていた事があった。

父が亡くなったら父のケツは僕が拭く。

心配せずに天国に行ってもらうべく、御葬式にかかるお金や、その他必要であろう現金をカバンに詰め込み実家に帰った。

だが、それはできなかった。

させてもらえなかったのだ。

父は御葬式にかかるお金をすでに葬儀屋に払っていたのだ。

脱帽した。

死に方までカッコイイ。

自分が死んだ後の事まで考え、僕に迷惑をかけないよう行動していたのだ。

やっぱり父はカッコイイなと、全身雷に打たれた気分だった。

実際の例を2つ出させてもらい説明をしたが『死』をイメージしながら生きる男の言動はカッコイイと感じていただけたのではないだろうか?

死をイメージし生き、それが言動に醸し出るようになれば尊敬される。

是非『死』をイメージをしながら生きていただきたい。

今からあなたが見る世界が変わる。

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